岸和田だんじり祭の「暴力」が規制される理由

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岸和田だんじり祭の「暴力」が規制される理由
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🎵 岸和田だんじり祭の「暴力」が規制される理由

[PDF]有本尚央 "都市祭礼における「暴力」と規制―「スポーツ化」する岸和田だんじり祭―" フォーラム現代社会学16(2017)は、祭りの「熱狂」と「秩序」という、一見矛盾した二つの力学を鮮烈に照らし出す学術論文だ。毎年秋、大阪府岸和田市の街を揺るがすだんじり祭。そのうねるような迫力の裏側に、社会統制と身体性をめぐる複雑な力関係が静かに、しかし確実に作動していることを、有本は膨大なフィールドワークと理論的考察によって明らかにしている。「祭りは自由だ」という素朴な信念が、この論文を読み終えた後では少し違って見えてくるはずだ。

社会学者・有本尚央が[PDF]有本尚央 "都市祭礼における「暴力」と規制―「スポーツ化」する岸和田だんじり祭―" フォーラム現代社会学16(2017)として関西社会学会の学術ジャーナルに発表したこの研究は、都市民俗祭礼の変容を「スポーツ化」という社会学的概念で読み解くという、当時としてはかなり挑戦的な試みだった。岸和田だんじりという極めてローカルな民俗文化財を入口としながら、そこに普遍的な近代化のダイナミズムを見出していく論理展開は、文化社会学・民俗学・都市文化研究の交差点に立つ者なら誰もが引き込まれる密度を持っている。

岸和田だんじり祭とはなにか――伝統と身体の現場

大阪府南部に位置する岸和田市で毎年9月に開催されるだんじり祭は、約300年の歴史を持つとされる都市祭礼だ。重さ4トンにも及ぶ木製の山車(だんじり)を、数百人の氏子が引き回す。「やりまわし」と呼ばれる直角ターンは圧巻で、見物客は息をのむ。だが、その迫力の源泉は「制御された危険」にある。事故は毎年のように起き、重傷者や死者が出ることも珍しくなかった時代が確かにあった。

民俗学的な視点から見れば、この祭りは地域共同体のアイデンティティを再生産する装置でもある。だんじりを引く「力」は男性性の象徴であり、町内ごとの競争意識は地縁の紐帯を強化する。身体を通じた経験が社会関係を作り直す、その場こそが都市祭礼の核心だと有本は指摘する。岸和田市という自治体のレベルでも、この祭りは観光・経済・文化行政の重要な資源として位置づけられており、地域行政区域としての大阪府全体の文化施策とも連動している。

「暴力」の社会的意味――祭礼における逸脱の構造

有本論文の核心的な問いは、「暴力とはなにか、そして誰がそれを定義するのか」という点にある。だんじり祭における「暴力」は、参加者が山車を全力で引き走る中で生じる身体的衝突や、その結果としての負傷・事故を指す。しかしこれは単純な「危険行為」ではない。長年にわたり、それは祭りの「本気度」や「真剣さ」の証明として、むしろ肯定的に評価されてきた側面がある。

暴力の社会的規制という観点から考えると、面白いことが見えてくる。かつては「当たり前」だった行為が、ある時点から「問題」として可視化され始める。その転換点はどこにあるのか。有本はここで、エリアス的な「文明化過程」の枠組みを援用しつつ、岸和田固有の歴史的文脈と接続させる。都市化、観光客の増加、メディアの介入、行政による安全管理の強化――これらが複合的に絡み合い、祭礼空間における「許容される身体」の範囲を変えていったというのが彼の診断だ。

「スポーツ化」という概念が暴くもの――有本尚央の理論的射程

この論文で最も鋭い刃となっているのが、「スポーツ化(sportization)」という社会学的概念だ。これはノルベルト・エリアスとエリック・ダニングが提唱した概念で、もともとは暴力的だったゲームや身体活動が、ルール化・組織化・観客化を通じて「スポーツ」として洗練されていくプロセスを指す。有本はこれを都市祭礼の分析に応用した。

岸和田だんじり祭に起きたのも、まさにこのプロセスだと有本は論じる。事故防止のための安全基準の策定、参加者へのルール徹底、見物客エリアの明確化、競技的要素の強化とタイム計測の導入……。これらの変化は一見「合理的な改善」に見えるが、社会統制と身体性の観点から眺めると、参加者の身体経験そのものが再編成され、祭礼の持っていた「生(なま)の逸脱可能性」が徐々に剥奪されていく過程として読める。秩序化は、同時に何かを失わせる。

有本論文が明かす「知られざる実態」――規制の政治学と祭りの変容

メタ記述が示す通り、この研究の真の価値は「知られざる実態」を暴く点にある。表面上は「安全で賑やかな地域の祭り」として報道されるだんじり祭の背後に、誰が誰のために「暴力」を規制しているのかという権力関係が潜んでいる。有本の分析によれば、規制の主体は一枚岩ではない。地元自治体、町内会組織、警察、観光業者、マスメディア――それぞれの利害が複雑に絡み合いながら、祭礼空間の「適切な秩序」が交渉・構築されている。

特に注目に値するのは、規制が必ずしも「上から」押し付けられるわけではないという点だ。参加者である地元住民自身が、ある種の「セルフ・スポーツ化」を内面化していくプロセスを有本は丁寧に追う。安全への配慮、外部評価への意識、祭りのブランド化への参与感――こうした要素が絡み合い、参加者が自ら身体の使い方を「適正化」していく。これは文化社会学が「ガバメンタリティ」と呼ぶ現象に極めて近い。

都市文化研究の地平で見る岸和田――祭礼の近代化がはらむ問い

都市文化研究という視点から見ると、岸和田だんじり祭の事例は日本全国、さらには世界の都市祭礼に通底する問いを提起している。祭礼の近代化とは何か。それは「進歩」なのか、それとも「喪失」なのか。答えは単純ではない。有本自身も、スポーツ化を単純に「劣化」として批判する立場は取っていない。むしろ、変容のプロセスそのものを価値中立的に分析することで、変化の構造と方向性を明らかにしようとする。

岸和田市という小さな自治体の祭りが、これほど豊かな社会学的考察の対象になりうるという事実は、それ自体が都市民俗祭礼の持つ重層的な意味を示している。大阪府という地域行政区域の文化的多様性の中でも、岸和田のだんじりは突出した象徴性を持つ。その象徴が「どのように管理され、どのように意味づけられてきたか」を問うことは、現代日本の都市文化を問うことに直結する。

フォーラム現代社会学と関西社会学会――この研究が生まれた知的文脈

フォーラム現代社会学は、関西社会学会が発行する査読付き学術ジャーナルだ。社会学の理論的・実証的研究を広く掲載してきたこの媒体に有本論文が収録された意義は小さくない。関西地域の社会学的知見が、地域固有の文化事象を分析することで普遍的な理論的貢献へと昇華されるという、学術的循環の好例がここにある。

民俗学と文化社会学と社会統制理論という、ともすれば交わりにくい三つの知的系譜を一本の論文で縫い合わせた有本の手腕は、専門家たちに一定の評価を受けてきた。だんじりという民俗文化財を素材にしながら、「身体はいかに統治されるか」「文化はいかに変容するか」という根本的な問いに真正面から取り組んでいる。2026年現在、この論文は刊行から約9年が経過しているにもかかわらず、都市祭礼研究や社会統制論の文脈で今も引用・参照され続けている。それは、問いの鮮度が少しも衰えていないことの証だろう。

いま、この論文を読む意味――現代日本社会への問いかけ

日本各地でイベントの安全管理が強化され、地域祭礼の「観光化」「商品化」が加速する中、有本の論点はむしろ今日的な切迫感を帯びている。コロナ禍を経て祭りのあり方が問い直され、オーバーツーリズムへの懸念が高まる現在、「祭りを守る」という言葉が何を守り、何を犠牲にしているかを問う視座は切実だ。

だんじりは走り続ける。だが、その走り方は変わった。速度は上がり、安全柵は増え、カメラの台数は増え、観客の歓声はSNSで拡散される。それでも祭りの核心にある「何か」は残っているのか、それとも巧みに置き換えられてしまったのか。有本尚央の論文は、その問いに正直に向き合うための道具を、今も私たちに手渡してくれている。PDFをダウンロードして読んでみてほしい。きっと、祭りの見え方が変わるから。 (出典: pdf有本尚央 都市祭礼における暴力と規制スポーツ化する岸和田だんじり祭 フォーラム現代社会学162017(Yahoo!ニュース))

[PDF]有本尚央 "都市祭礼における「暴力」と規制―「スポーツ化」する岸和田だんじり祭―" フォーラム現代社会学16(2017)
[PDF]有本尚央 "都市祭礼における「暴力」と規制―「スポーツ化」する岸和田だんじり祭―" フォーラム現代社会学16(2017)
[PDF]有本尚央 "都市祭礼における「暴力」と規制―「スポーツ化」する岸和田だんじり祭―" フォーラム現代社会学16(2017)